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最近想うこと:コロナ禍と“何気ない日常”
今から約5年前の出来事です。
当時、私は某製薬会社の熊本営業所に在籍していました。
家族を高松に残して単身赴任8年目を過ぎた頃、2016年4月16日の午前1時25分マグニチュード7.3の地震が熊本地方を襲いました。
下から突き上げるような強い揺れが数回続き、ベッドが数回浮き上がりました。
「このままここにいたらマンションが倒壊して下敷きになるのでは・・」と、生まれて初めて死を意識するような出来事でした。
非常灯を片手に、地震で床に散乱して割れたガラスや陶器をよけながらマンションの非常階段を降り、災害時の避難場所に指定されていた小学校の体育館に慌てて逃げ込みました。
まだ余震で揺れが続いており、建物の中が怖いのか、真夜中の寒い運動場に座っている方も大勢おられました。
私は元来の性格が幸いし、体育館で知らぬうちに眠りに落ち、気が付けば朝の8時でした。
当時、勤務していた先では携帯電話アプリの非常時安否確認システムを採用しており、熊本営業所に在籍していた約30名近くの社員は全員が怪我無く無事が判明しました。
周囲の状況がわかり、命が助かると今度は自分の住んでいたマンションが気になりました。
幸いにも私の住んでいたマンションは壁にひびが入った程度でしたが、ガスも電気も水道も止まっていました。
熊本営業所の入居していたビルは少し旧式のビルであり貯水槽が屋上にあったので水道水が使えるとの連絡があり、熊本では独り身の私は営業所に行くことにしました。
そこでは水道水に加えガスも電気も使えたので、温かいコーヒーと備蓄されていた非常食(ビスケット・乾パン類)にありつけました。
私を含め十数名が熊本営業所の床の上で毛布にくるまり2泊の雑魚寝。
3泊目からは、会社指示で営業所員全員が福岡市内のホテルに分散宿泊(企業として従業員に対する安全配慮義務履行の一環だったのでしょう)。
ホテルから天神にある九州支店に出社し、2週間後には、安全が確認されたとして熊本に帰った、という一連の出来事です。
少々、枕の長い話になりましたが、私はこの体験で「何気ない日常を繰り返すことができるありがたさ」に気づきました。
家に帰れば水道から水が出てお湯が使え風呂にも入れるといった、今までは当たり前のことだと思い込んでいたことが、実は、たまたまの幸運の上に成り立っていた、ということです。
福岡市内のホテル滞在中も水道から水は出るし風呂にも入れます。
しかし、そこはあくまで非日常の空間です。
散らかって埃っぽくても自分の家の風呂に入る方が、気分的には落ち着きリラックスできるのではないでしょうか。
わがままかもしれませんが、そこは、何気ない日常ではなく、非日常の繰り返しです。
若くはない私にとっては、非日常の繰り返しは、楽しさもありましたが、ストレスでもありました。
「何気ない日常」と言ってしまえば、一日を終えようとした時、「今日は何もなかったのでつまらなかった」と感じる方や、「今日は何もなかったので良かった」と感じる方もいるでしょう。
この二つの感じ方ですが、敢えて言うと、前者は「批判・非難のこころ」、後者は「感謝のこころ」につながりやすいように思います。
私が年を重ねたせいか、後者の感じ方(「感謝のこころ」)を持つ方が、自分自身や他者に対しても優しく接することができるようになれる近道だと思います。
「今日も何もなかったので良かった(トラブルがなくて良かった)」と思えるようでなければ、私を支えて頂いている周囲(家族・職場・取引先・病医院等)の方々や患者さんに迷惑をかけかねません。
勤務先が調剤薬局ですから、コロナ禍の中、発熱外来を受診された患者さんに、処方薬をお渡し・説明し、不明点があればお答えすることもあります。
そのような患者さんの中には、既に、いつも通りではない非日常の日々の方もおられるでしょうし、何気ない日常の繰り返しからは離れている方もおられるでしょう。
「今日も何もなかったので良かった(トラブルがなくて良かった)」と一日の終わりに言えるよう、身体面の辛さだけではなく、そのような辛さを持っておられる方もいるということを忘れないようにしたいものです。
なつめ調剤薬局 I